春の異動実施

  さいたま教区の春の異動で、山口明裕神父様と神学生の高橋史人神学生が3月1日川越教会に赴任されました。
 山口神父様は川越教会出身司祭です。2000年の司祭叙階以来、はじめての出身教会担当ということになりました。高橋史人さんは、茨城県古河教会出身。2010年から1年間川越教会で司牧実習をしていますので、ご記憶の方も多いと思います。
  山口神父様は着任後まもないミサの説教のなかで、谷司教様から異動の発令をうけた時、落ち着いて司牧ができるようにしばらくはこの教会にとどまれるようにお願いした、という話をされていましたので、ある程度の期間は川越教会を担当下さるでしょう。但し、以前のワレ神父様と同様、川越と上福岡の2つの教会の兼任ですので、谷(ディン)神父様の留学離日後は、協力司祭に戻られたホアン神父様を加えた司祭合計4人で宮寺、秩父を含めた6教会を協働宣教司牧されることになります。
  また、高橋助祭(3月9日叙階)は来年の司祭叙階までの一年間ですが、週末に来川され、以前同様司牧実習されます。(高平)

ワレ神父様追悼ミサ・納骨式

 2013年3月2日10時より、故ワレ神父様のさいたま教区主催の追悼ミサが谷司教様の司式で川越教会にて行われました。
  天候は晴れていたものの冷たい風が吹く寒い日でしたが、300名を超す信徒が集まり、昨年12月3日突然天国へ旅立たれたワレ神父様を偲び、祈りを捧げました。共同祈願は、上福岡教会、川口教会、大宮教会、上尾教会、そして川越教会の各教会でそれぞれが祈願しました。どの祈願にもワレ神父様の思い出がたくさん込められており神父様が今まで受け持たれた教会や接してこられた信徒に与えてきた影響を豊かに物語っているものでした。
  ミサの後、大型バスで旭町の墓地に移動し納骨式が行われました。旭町の墓地では聖歌が歌われた後、多数の信徒に見守られる中、谷司教様の手によってワレ神父様の遺骨がお墓に納められました。その後献花が行われ神父様が納められたお墓は色とりどりのお花で埋め尽くされました。
  つい先日シャール神父様の納骨が行われたばかり。まさかこんなに早く私達の神父様がこのお墓に眠る事になるとはだれが予想したでしょう。 神様の御業は計り知れません。今まで私達と共に歩んでこられた神父様は今度は神様の御許で神様と共に私達を導いて下さることでしょう。(佐藤みほ)

埼玉県西ブロック女性部会

  3月8日(金)午後上福岡に於いて教会埼玉県西ブロック女性部会が開かれました。 出席者15名で、この内川越教会からの参加は6名です。 聖職者は谷神父様が参加下さいました。 はじめに谷神父様が「イエスの時代も女性がよく働きました。同様にこの西ブロック女性部会もよく働いて下さいました。聖霊の働きに感謝。皆さんにはこれからもよろしくお願いします。」と挨拶されました。
  報告…評議員の池田女里子さん(上福岡)から、昨年11月14日に行われた教区女性部会、ならびに1月13、14日に行われた宣教司牧評議会研修会の内容の報告がありました。 研修会のおりに谷司教様から「将来教区の女性の意見を求める諮問を行うことも考えられるので、定期的な会合の開催を中止(11月14日の教区女性部会の提案)することは了解するが、女性部会は存続し、必要に応じて召集することにてほしい」との意向表明があり、そのように運用することとなった由。 なお、池田さんは西ブロック教会懇談会に宣教司牧評議会評議員として今後出席することになります。
  西ブロック女性部会の今後…話し合いの中で(年2回ぐらいの)教会員の交流は必要ではないか、女性だけで担っている教会の仕事もあるのではないか、など意見が出され
・議事録を作らず、なんでも話せる場として開催
・参加は自由、頭数は気にしない
・司教からの諮問があった場合評議員の池田さんが窓口
という形で運用することになりました。 これに基づく初回の集まりを1年後を目処に上福岡教会で開催する方向で、池田さんがテーマを検討することになりました。 (永峯美代子)

助祭叙階式

  3月9日(土)所沢教会において2人の助祭が誕生しました。高橋史人さんは、茨城県古河教会出身。山口一彦さんは、埼玉県所沢教会出身。いずれも川越教会で司牧実習を経験された方です。あわせて、祭壇奉仕者にロニー・ロボカさん(現在日本語を勉強中)選任され、司祭・助祭候補者に高瀬典之さんが認定されました。
  山口さんは所沢教会の出身です。出身教会での助祭叙階式は、ご本人はもとより、参列した所沢教会信徒の皆さんにも特別な思いがあったことでしょう。聖堂に集ったのは200名あまり、川越教会からも山口神父様に三役他、大勢の方々が参加されました。 説教で谷司教様は教区司祭の平均年齢を47歳(だったと思いますが、定かではありません)と誇らしげに語られました。
  2000年の山口神父様司祭叙階式の折り、当時の岡田司教様は、「教区司祭誕生は13年ぶり。ところが、20歳代の若い山口新司祭を加えても司祭の平均年齢は61歳」とぼやいておられましたので、この10数年、さいたま教区がいかに司祭を産み出すことに注力したかがわかります。(もっともこの両者を直接比較して良いか―母集団の取り扱いが共通しているか―わからないところもありますが)
  ミサ後には祝賀会が開かれ、所沢教会の青年がつくお祝いの餅つきもあり、和やかに祝いました。多くの方から祝福を受けていた新助祭の姿が印象的でした。(高平)

東日本大震災2周年犠牲者追悼と復興祈願ミサ

  3月10日(日)第2ミサでは、東日本大震災から2周年を前にして、すべての犠牲者と被災地の復興のための特別なミサが行われました。
ミサの前、レクリエムの合唱曲とともに大震災発生当時の映像が映し出された後、ミサが始まりました。グエン・ゴン・ホアン神父様と山口明裕神父様の共同司式で行われましたが、被災地の福島から帰ってこられたホアン神父様が主司式されました。
  高橋神学生による福音朗読では、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、決して死ぬことはない」というイエスの言葉が読まれました。 ホアン神父様のお説教は、兄であるトアン神父様が撮影され、長く被災地で支援活動をされていた丹弘さんが編集されたビデオを見ながら黙想する形で行われました。 被災地の復興に向けての2年間の課程が、10分ほどの映像にまとめられ、その中で川越教会のフィリピン信徒やベトナム信徒の皆さんと被災者の方々との交流風景も映し出されました。
  共同祈願では、「亡くなられた方々の永遠の安らぎと被災者への希望」、「復興に携わる人々への神の祝福」、「即原発廃止と自然との共生」、「信仰年を迎えた教会への導き」などの祈りが唱えられました。
  2年を経て、日々の生活に追われ記憶が薄れていく私たちに、改めて震災被害の悲惨さと今も苦しんでいる人々に対する継続的な援助の必要性を思い起こさせる時間でした。 ミモザや梅の花が咲き、春の訪れを思わせる穏やかな日和で、ミサ後には、山口、ホアン両神父様による共同回心式が行われました。 (得丸)

四旬節黙想会

  研修奉仕会主催の四旬節黙想会が3月17日(日)に行われました。参加された信徒は100名ほど。いつにも増して参加者が多かったのは信仰年がテーマになっていたからでしょうか、それとも講演者国井健宏神父様の知名度からでしょうか。その両方だったかもしれません。
当日の第二ミサを司式してくださった国井神父様は、説教で洗礼志願者と共にヨハネ福音書を通してイエスを知ろう、と当日の福音「姦通の女」のエピソードを解説下さいました。国井神父様はワレ神父様をよくご存知のご様子。説教の冒頭にもこの黙想会の依頼の電話を研修奉仕会から受けたその日にワレ神父様が亡くなられたことに触れ、神の不思議なはからいを感じるという趣旨のお話をいただきました。
  信仰年をヨハネと共にすごそう、と昨年10月にワレ神父様の新約聖書シリーズはスタートしました。それも4章まで行ったところで中断。今回の姦通の女はヨハネ8章です。記者には続きをよく味わいなさい、とワレ神父様に言われているような気がしたものでした。
  国井神父様は左脳を使ってイマジネーションをふくらませ、豊かな福音にふれるようにと私たちを励ましてくださいました。(高平)

 

春の墓前野外ミサ

 3月20日(水・祝)午前10時より恒例の春の墓前ミサが行われました。今年は、この3月に川越教会の担当司祭として赴任した山口明裕神父様の司式により執り行われました。
  神父様にとっては川越教会での初めての墓前ミサでした。 ミサの中で、「主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布と、すべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。・・・この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び踊ろう。(イザヤ書25章、7~9)」の箇所が朗読され、山口神父様は、「この朗読を黙想しながら、この墓地に眠る方々のために祈りましょう。」と述べられました。
  ミサの最後に、墓地管理委員長の中村正巳さんの先導により、神父様は香を振りながら墓地の中を一周されました。 中村さんからは、新司祭である山口神父様のご紹介と、3月2日(土)に谷司教様の司式によりジャン・ワレ神父様の納骨式が行われたことが報告されました。
  当日の天気は曇りで、一時雨の予想もありましたが、当初から穏やかに日もさし、風も強くなく、墓地の桜の花も咲き始めるという好天の中でのミサとなりました。 ミサ後には、いつものように御婦人方の用意して下さったお茶菓子をつまみながらの懇談が行われました。
  今回も高橋社長のご厚意により、墓地前の川越精密工業内の駐車場をお借りすることができましたことを感謝いたします。(得丸)

 

さいたま教区司祭叙階式

 3月20日、春分の日の休日に、浦和教会において司祭の叙階式がありました。今年司祭に叙階されるのは坂上彰さんです。
  当日は天気も良く暖かな日よりで、風が少し強く吹いていましたがすでに桜の花も咲き初めて、それが叙階式という祝いの日に華やかな彩りを添えていたと思います。 もし、まだ叙階式をご覧になったことのない方ならばぜひとも一度式に列席されて、叙階の儀式をご覧になると良いと思います。 僕がここでこと細かに叙述したところでそのイメージは伝わりづらいかと思います。幸いにもこのまま順調に行けば、今川越教会で奉仕されている高橋助祭と、以前奉仕されていた山口助祭の叙階式が来年あるはずなので。
  ここで僕が叙階式の、皆さんにお伝えしようと思う内容は、式の中で読まれた聖書朗読のことです。旧約から選ばれ読まれた箇所はイザヤの予言、6章1?8節です。これはイザヤの招命の場面に当たります。福音朗読では、ルカの福音4章16?21節です。この場面はイエス様が安息日にナザレの会堂で預言者イザヤの巻物を渡され読むところです。 この二つの朗読は坂上さん自身が選んだ箇所とのことです。坂上さんは、特にイザヤの招命の場面に強い想いがあるそうで、「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」と主がお尋ねになるのに対し、イザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と答える、そのイザヤの言葉に深い感銘を受けられその場面を選んだそうです。
  確かに叙階という場において、これほど相応しい朗読箇所はないように思われました。また、谷司教様がこの「わたしがここにおります。」という言葉の「わたしが」が「わたしは」でないということに着目されてお話もされました。あくまでこれは、日本語に翻訳するときの振れ幅の範疇だとは思いますが、「わたしが」という言葉に、イザヤの強い意志が伺われるように思われます。坂上さんも、きっとイザヤのその強い意志に共感され、ご自身の司祭としての門出にこのイザヤの招命を朗読に選ばれたのだと思います。(両岡)

(教会報「いづみ」2013年4月 551号より)