川越市民クリスマスに社協から感謝状

  去る10月30日、今年で39回目を迎える川越市民クリスマスの活動が認められ、川越市社会福祉協議から感謝状が贈られた。
川越市民クリスマスでは毎年、会場献金とチケット売上金の一部を川越市の社会福祉協議会へ献金してきたが、その功績が認められた結果、今回の感謝状の授与につながった。 現在、川越市民クリスマスに参加する教会はカトリック川越教会や聖公会を含めて19教会あるが、これだけの教会が参加するようになったのは故ラバルト神父の熱心な行動力があったからだとある古参教会の牧師は折につけ懐かしそうに語る。
  参加教会の中には日本だけでなく韓国や台湾の教会も加わり今日に至る。 今年は初雁教会が担当教会として全体のとりまとめをしてきた。本来はワレ神父が今年の実行委員長を務める予定だったが、昨年12月に天に召され、急きょ初雁教会の町田さとみ師が実行委員長を引き受けてくださり、今年12月13日(金)川越市民会館大ホールで、オペラ「アマールと夜の訪問者」をメインにクリスマスの意味を一般の皆さんに知ってもらうために行われる。
  来年は第40回という節目の年になるが、カトリック川越教会の加藤神父が実行委員長を務めることになる。私たち一信徒も一緒になって来年の川越市民クリスマスに向けて実行委員長である加藤神父を盛りたてていけたらと思う。(丹弘) )

洗礼式と七五三の祝福

  今年も七五三の時節となり、当教会でも11月10日主日のミサ中、恒例の子ども達の祝福が行われました。また、このミサ中にホアン神父様による赤ちゃんの洗礼式もあり、それに続いて行われた七五三の祝福では加藤神父様が、祭壇前に集まった子ども達に向けて、「子どもたちを私のところに来させなさい。」とイエス様がおっしゃられた聖書の場面をお話しして下さいました。
  神父様のお話し中、キョロキョロソワソワする小学生たち(早く飴くれないかなあ!)、七五三の素敵な着物を引きずりながら、元気に床を這いまわる小さい女の子、祭壇前に連れて来られたものの、お母さんの姿が見えずに思わず大泣きする小さい男の子・・・「神の国はこのような者たちのものである―子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない」イエス様の言葉が、こんな子どもたちの姿を前にして心に響きました。
  祝福も終わり、洗礼をうけたばかりのレーナちゃんから小学6年生まで千歳飴のプレゼントを手にして、最後には無事にみんな笑顔の七五三の祝福となりました。またこの日の洗礼式は、お母さんの洋子グッドウィンさんを囲んだ10代20代の若い代父母のみなさんの笑顔が何とも印象的でした。
  赤ちゃん、子供たち、青年たち、大人たち、あらゆる世代の人たちが一つのミサに集って喜びを分かち合えることに、あらためて感謝を覚えた洗礼式と七五三のミサでした。 (樽角みほり)

唐人揃いパレード

  今年の川越唐人揃いは、11月10日(日)午後12時半に蓮馨寺を出発し、華やかに行われました。天気予報は雨の予想で開催が危ぶまれましたが、当日は曇り空で雨にはならず無事予定通り実行されました。
川越教会からは、純白の衣装に華やかな金色のスカートをはき、白いスカーフに着飾った5人のフィリピン女性、背が高くスマートな体に清楚なアオザイを身に付けたベトナム女性と若いベトナム男性が10人以上参加して下さいました。上福岡教会からもフィリピン女性を含む約10人と、約40人での参加となりました。 そして、今年はうれしいことに、川越教会に赴任して間もない加藤神父様とさいたま教区の斉藤助祭もパレードの最初から参加して下さいました。今年の男性は紺の麦わら帽子をかぶりながら歩きましたが、加藤神父様は白い司祭服に緑のストラをかけ、紺の帽子というおしゃれな服装で、沿道の人たちに手を振りながら歩かれました。
  パレードは、例年通り仲町交差点から札の辻交差点までの間で行われました。大勢の観客のいる通りの中央をパフォーマンスしながら練り歩き、札の辻交差点でUターンして「りそな銀行」そばの駐車場前まで戻り、そこから3箇所に分かれてそれぞれパフォーマンスを披露しました。 私たちは、フィリピン女性グループが「ポルカバル」というダンスを踊り、上福岡教会の方のギター伴奏に合わせて讃美歌「アーメンハレルヤ」を披露しました。加藤神父様も大きな声で歌ってくださいました。
  毎年、各グループの紹介があります。今年は「カトリック川後・上福岡教会有志の会」として次のように紹介されました。 「私たちカトリックの共同体は日本人だけでなく、世界の人々 が集う多文化・多国籍・多民族共同体です。私たちは、韓国、フィリッピン 、ベトナム、インドネシアなど、アジア近隣の人々との交流、友情、助け合いを大切にしています。その心をあらわす『アーメンハレルヤ』を歌います。パフォーマンスの踊りは、川越教会フィリッピン女性グループ『カサピ』の人たちによるフィリッピン民族舞踊、スペイン風の踊り『ポルカバル』です。婚礼の席で、花嫁の出を待つ若者たちの喜びと祝いの踊りです。」
  今年も、綺麗な衣装を身に付けた、フィリピン、ベトナムの女性たちは人気者で、カメラをもった観客や、他の団体の参加者たちとも賑やかに交流し、神父様も交えて写真に収まっていました。 当初、今年の唐人揃いのパレードは谷司教様からの提案で、山口神父様を責任者とした「多文化共生ツアー川越唐人揃いパレードに一緒に参加しよう」という「さいたま教区企画」となる予定でしたが、谷司教様の退任、山口神父様の入院という思わぬ事態となったため、責任者が斉藤助祭となり、従来通りの参加となりました。 (得丸幸夫)

秋の学習会より

  小春日和の10月17日(日)の第2ミサ後に清川(せがわ)泰司神父様(大阪教区司祭で現在カトリック中央協議会勤務)をお迎えし、テーマ「信仰年を振り返って」、研修奉仕会主催で行われました。 加藤神父様、フィリップ神父様、高橋助祭も同席され、お御堂がほぼいっぱいになるほどの参加者がありました。
  半年ほど前に当教会に居られた山口神父様からこの研修会の事を依頼され、今日実現することになったと清川神父様は最初に話されました。 大阪の河内長野のご出身で今年50歳、バリバリの関西弁でお話されました。三重県生まれの小生には久しぶりに聞く田舎の言葉に触れた気がして懐かしくまた親近感を覚えました。
  神父様自身で自己紹介され、幼児洗礼であったこと、小学校6年迄は教会にも行っていたが、その後教会には行かなくなった、が26歳の時にまた教会に戻った。その後司祭になられる前の助祭時代にフィリピンで過ごした数年間の体験や司祭になってからの姫路教会担当司祭時代を振り返って、今日のテーマについて熱情を持って語られました。
この信仰年は、昨年ベネディクト16世教皇から発せられ、昨年2012年10月11日に始まり、今月11月24日の王であるキリストの祭日に終わります。その目的はカトリック教会の信仰の遺産を保持した上で、新しい時代への適応を打ち出した第2バチカン公会議の教えをどのように実施しているかを振り返り、これからの歩みを整え、「カトリック教会のカテキズム」を学び、その内容を確認した上で信仰生活を刷新することを目的としています(カトリック中央協議会資料より)。清川神父様はこれをもっとわかりやすく具体的に私達に話されました。
  助祭時代に2000年からフィリピンで司祭としての修業をするためと外国人としての体験をするために、南の地方や、ルソン島の西側にあるピナツボ火山のふもとの村にも滞在したことがあります。どこに行っても人々は貧しく、楽な生活ではない、特にこのピナツボ火山は1991年の大噴火で田畑、集落、街を埋没させ、数千戸の家屋が倒壊するなど壊滅的な被害を与えた(被害者総数120万人に達する多大な被害)、がそれにもかかわらずこの村の人々と話をするとき、いつも感じたことは彼らから決して絶望的、悲観的な言葉ではなく「希望」を持って生きていることを強く感じました、それは何か、貧しさの中でキリストを体験した生活、私達の神様ではなく、神様に愛されている私達、神への信頼、そこに「希望」があるのだと知らされた。後に姫路教会の担当司祭になってからのことですが、他にも任されていた小さな教会の信者の役員さんから「信者も少ない、自分たちは奉仕業務だけで手一杯、この先どうしたらいいのか?」と相談されたが、「それならこの教会を閉めるか、それとも信仰について改めて勉強する機会を持とうか」とかなり激しい議論をしたことがあり、気付いた事は信徒がキリスト、聖書を知らないこと、身近にキリストを実感していない生活からではないか、そこで考えたのが「聖書学習会(旧約と新約聖書)」を行う事にしました、信徒たちの参加を得て50回近くやりました。
  信仰年と言う言葉は決して新しいものではありません。1975年パウロ6世は、教会の刷新がなかなか進まないことやキリスト離れを危惧して、それは「福音宣教」(現代世界における福音化につい・エヴァンジェリイ・ヌンティアンディ)という教えを発布しています。その心は「イエス・キリストを見直そう、人類をより良い方向に導く神を知ろう」と言うものであり、現代のフランシスコ教皇も同じメッセージを発しており、まったく変わるものではありません。 “キリストの道”を身近に知る、できる事の一つとして、毎週の「聖書と典礼」を熟読すること、特に最初の「集会祈願」は神様の望んでおられることがよく分かります。
  そしてもう一つは聖書に学ぶこと、特に旧約をよく知ることが鍵です。終わりに神父様から「祈りと黙想」の為に次の祈りが示されました。「共に生きる恵みを願う祈り」(ラウル・フォレーロ)と「イザヤ43・1~5a」 もしこの祈りを知りたい方は加藤神父様にお尋ね下さい。 (土井廣海)

(教会報「いづみ」2013年12月 559号より)