教会ホームページリニュアル
私たちの教会のホームページは、2002年シャールアンドレ神父様の時代に開設されました。それから10年以上が経過、新しい担当司祭として加藤神父様をお迎えすることができたのを機に、ホームページをリニュアルしようということになりました。作業は遅れ勝手でしたが、この2月にだいたい完了し、3月の上旬に加藤神父様にも参加いただき、最終的な広報部レビュー会を開催、大筋了解が得られましたので公開に踏み切りました。
まだ担当司祭プロフィールができあがっておらず、リンクも充実していません。pfdで貼り付ける予定の資料もまだ手がついていない、という不完全な状態での公開開始ですが、ご容赦いただき、一度ごらんになってください。
ブックマークを登録下さっている方は前のアドレスのままで表示されます。検索する場合は、「ミカエルネット」のキーワードで上位にヒットするのも以前と変わりません。
以前のものがどちらかというと、求道者の方々に対する情報提供が主でしたので、今回は所属信徒の方々へ向けてのそれを充実させるように見直しました。「ご連絡」はトップページに移動して「お知らせプリント」と連携させるようにし、以前パンの会がつくりました「カトリック川越教会ガイドブック」をそのままウェブ版として掲載し、ほかにも墓地の情報(地図を含む)、結婚・葬儀・転出・転入といった教会ライフに有用となるだろうと思われる情報を増やしました。
できる限り手作りしてお金を掛けないが信条の広報部ですので、今回も素人による手作りです。プロが作るような気の利いたものにはなっていませんが、更新は以前にもまして頻度アップする予定です。どうぞ今後も広報部の教会ホームページをよろしくお願いします。
*文字の大きさは従来のホームページと同一になっています。しかし、横に長く広がった関係で文字が小さく感じられるかもしれません。技術的な問題があり、インターネットエクスプローラーで言えば、「表示」―「文字サイズ」による文字の表示サイズの変更ができないようになっていますので、文字の大きさに見にくさを感じられた場合には、キーボードの左手前隅の方に配置されているCTRLのキーを押しながらマウスのホイールを回して表示サイズを変更してみてください。(ウインドウズ機の場合)(高平)
四旬節黙想会
3月16日(日)、第二ミサの後、四旬節黙想会が加藤智神父様によって行われました。同じ週の21日には、高橋助祭の司祭叙階式を大宮教会で迎える直前のミサの後でもあり、どこか喜びに満ちた雰囲気もあり、また久しぶりの春の日差しが戻った晴天の気持ち良い日となり、参加者はほぼ100名を超えていました。
神父様開口一番「どこの加藤神父かと思われた方も多いかと思いますが2階の加藤神父でした」とご自身がジョークを飛ばされたので皆さん思わず笑いに包まれました。祈りの後黙想会に入りました。
黙想会のタイトルは、『キリストと私たちの「過越」』でした。4つのセクションに分けてお話になりました。この内容についてのプリントも事前に用意されており、お話を聞くのに大変参考になった事と思います。
①ミサ:キリストと私たちの「過越」
最初に主の「過越(すぎこし)」(ヘブライ語でエキソドス)の意味についてお話がありました。
英語ではPass Over 過ぎ越すとは自分の力では乗り越えられない険しい道を乗り越えること、神様の恵みの業によって過ぎ越させて頂くこと。平坦な道を過ぎ行くのは「過行」です。モーセとエリヤと神様がシナイ山で話し合っておられ、モーセに神様が10の言葉を下さった、それは私達に頂いたのであって、戒めや律法ではない。エリヤは最初のイスラエルの預言者である。キリストの過越とは、キリストの十字架から復活を表しています。惨めな状態・場所から佳い状態・場所に移った(移行)ことを意味しているのです。
この「過越」は、最後の人が救われるまで続くのです。罪の許し(懺悔と感謝と感動)があって神のもとに帰ることが出来ます。人は弱くなる時がある、弱い人の為にミサがあり、この為に司祭が居ます。ワレ神父様もこの為に生涯を捧げられたのです。
②「過越」の食卓:最後の晩餐
主の晩餐(エウカリスチアの制定):マルコによる福音14章22~26から「取りなさい、これはわたしの体である。・・・これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である・・・。」イエスは、「過越」の食事に使徒たちと最後の晩餐を行いながら、ユダヤ人の過越祭に決定的な意味を与えられました。死と復活を通してのイエスの御父への「移行」、すなわち新しい「過越」は、最後の晩餐で先取され、感謝の祭儀で祝われます。この祭儀はユダヤ人の過越祭を完成し、御国の栄光における教会の決定的な過越を先取りするものです。
③『旧・新約聖書』の証言する三重の「過越」
(1.出エジプトの「過越」:出エジプト記12章~24章BC.1600エジプト(海・死)からカナンの地への移行
(2.出バビロンの「過越」:イザヤ書40章~55章(第2イザヤ)BC.600バビロンからエルサレム・カナンの地への移行
(3.主キリストの『旧・新約聖書』(「過越」の成就):マルコによる福音14章12~終章、死と復活を通してのイエスの御父への「移行」、
このように「過越」は『旧・新約聖書』の中で3度繰り返された、神の奇跡を表しています。3と言う数字(意味)は聖書の中では完成(成就)を意味します。
④「ペサハ」:「過越」
ペサハとはヘブライ語で、重い荷を負って喘ぎながら歩く姿を意味し、まさにキリストの十字架の道行きの姿です。キリストはご自分の為に十字架の苦しみを負ったのではなく、私達の為に過ぎ越して行かれたのです。
主キリストの「過越」。それは、主の愛による「キリストと共なる十字架の死からキリストの復活のいのちへの私たち自身の「過越」でもあるのです。それが主キリストがエルサレムで、私達の為に成し遂げて下さる恵みの一切です。
最後に「祈り」と「皆さんが素晴らしい復活を迎えられますように」と言われて1時間半の黙想会を終えられました。(土井)
春の墓前野外ミサ
3月21日(金・祝)午前10時より恒例の春の墓前ミサが行われました。昨年秋の墓前ミサに引き続き、加藤智神父様の司式により執り行われました。前回はフィリップ神父様も参加されていましたが、今回は、加藤神父様おひとりで司式されました。
前日は雨でしたが、当日は温かい陽のさす好天に恵まれました。ただ、風が強くろうそくの火が消えたり、ご聖体が飛ばないようにするのに苦労しました。
神父様はミサの中で、「復活のキリスト」について述べられ、「私のくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。私の道を歩きなさい。私は天国にあなたたちの場所を用意している。」という言葉に従い歩んでいきましょう。ここにともに集うことで新たな出会い、新たな出発もあるでしょうと話されました。
ミサの最後に、いつも通り中村正巳さんの先導により、神父様は聖水をかけながら墓地の中を一周されました。
中村さんから、墓地管理責任者が高平庄司さんに委託されたことが報告されました(委員としては残られます)。そして加藤神父様から、中村さんの長年の奉仕に対し感謝の言葉がありました。
ミサ後には、いつものように御婦人方の用意して下さったお茶菓子をつまみながらの懇談が行われました。今回も高橋社長のご厚意により、墓地前の川越精密工業内の駐車場をお借りすることができましたことを感謝いたします。(得丸)
高橋助祭司祭叙階
3月21日(金・祝)大宮教会で高橋史人助祭の司祭叙階式が行われました。主司式して叙階の秘跡を授けたのは教区管理者、岡田大司教。この日司祭叙階されたのは2名で、もうひとかたは所沢教会出身の山口一彦助祭。この方も私たちの教会で司牧実習されたのでなじみがあり、その意味で二重の喜びでした。
高橋さんはこの1年あまり川越教会で土日他を過ごされましたが、その前にも東京キャンパスの時代にしばらく私たちの教会に滞在され、この教会の様々な活動に関わってくださいました。そのため、身内のように感じておられた方も多かったのではないでしょうか、所沢教会の信徒の方々はバスで大宮教会に乗りこんだそうですが、私たちの教会からもそれに負けないくらい沢山の方が参加して叙階式を祝いました。
叙階式の最後に岡田大司教から、お2人の4月21日からの任地の紹介がありました。高橋新司祭は、日光・今市教会が初の任地となる由。残念ながら当教会とは縁がなくなりますが、新しい教会でもお元気で、そして、息長く司牧していただけるようにと祈りました。
この叙階式で少し驚いたことがありました。司祭団に続いての最後に入場したミトラ(司教の階位を表すかぶり物。別名イカボウシ)は一つではありませんでした。谷司教が岡田大司教と共に入場の列に加わっていたのです。突然私たちの前から姿を見せなくなって8ヶ月あまり。その間は沖縄で過ごしておられたようです。挨拶にも立った谷司教は、教区長時代と変わらず、いつものように軽妙に話されていました。会場では歓迎の拍手をする人もいましたが、記者はあまりその気にはなれずに、ただこの珍事に驚いていました。叙階されたお二人に司祭の道を開いたのは谷司教ですから、ここにおられることは当然と言えば当然ですが、昨年夏の突然(で信徒に理由の知らされないまま)の辞任と、その後の混乱を思うと、こちらも混乱してきます。
教区として招待したのでしょうか。そうだろうと思いますが、なにか納得できないものが残った司祭叙階式でした。(高平)
高橋新司祭川越初ミサ・祝賀会
司祭叙階式の直後の3月22日23日の主日ミサは、高橋神父様の川越教会初ミサとなりました。出身の古河教会をさしおいての初ミサに申し訳なくも嬉しく23日の第二ミサに参加させていただきました。
新司祭の初ミサは、2年前にホアン神父様がこの教会でたてて下さいましたが、その時以来のことになります。当時のホアン神父様は手順を間違えたり、助祭の所作に戻ってしまったり、初々しい初ミサを披露してくださったのですが、高橋神父様は、落ち着き払い、ベテランの面もち。いつものように良く響く声で美しく典礼を進めてくださいました。
このミサの終わりに、牧野委員長から叙階記念のストラの贈呈がありました。この時、同時に、ベトナム、フィリピン両コミュニティからはカズラと呼ばれる祭服がそれぞれ贈呈され、委員長のストラがかすんでしまいそうな豪華な雰囲気。その後、高橋神父様は、教会学校の子ども達からのお祝いのメッセージボードを含め、私たちの教会からのお祝いの品全てを紹介下さり、逐一丁寧にお礼を述べられました。この時聖堂は司祭叙階の祝いに相応しい暖かい雰囲気に包まれていたように思います。
その後、集会室で叙階の祝賀会が開かれ、珍しく多少のアルコール飲料も用意され、乾杯やら、談笑やらしばらく共同体全体でお祝いしました。
新しく司祭の道を歩み始めた方々がいる一方、主が呼び寄せられた巨星も、また病に苦しむ司祭も多くいるのがさいたま教区です。これらの神父様方のためにも祈らなければ、と思った初ミサでした。(高平)
埼玉西B第3次もみの木ボランティア
3月25日(火)朝、埼玉西ブロックのもみの木ボランティアグループが第3次になるボランティアのためにもみの木に出発しました。
今回のチームは飯能教会の泉さんと重森さんの男性陣、川越教会の時田さん、高山さんの女性陣が加わっての合同チームです。今回のドライバーは飯能教会の教会委員長泉さんが引き受けてくれました。こうした形で初めてのブロック合同チームを実現してくださったことを主に感謝しています。4月は群馬県が担当してくれますので次は5月、既に川越教会中心でチーム作りが始まっています。その後は7月、所沢教会中心で構成します。
あなたもいかがですか?(高平)
(教会報「いづみ」2014年4月 563号より)