2015・四旬節黙想会の開催
寒い雨模様の3月8日(日)の2ミサ後に、土浦教会のマイケル・コールマン神父様(イエズス・マリアの聖心会、日本に来られて57年、ワレ神父様と同じ1933年生まれ) によるミサ司式に続いて黙想会が行われました。
お御堂はほぼ満席、研修奉仕会の宍戸部長さんの挨拶に続き、神父様の講話が始まりました。要点はこの四旬節を 信仰する者としてどう有効に過ごすか。「祈り」を通して自分自身を見つめ直す40日間です。その祈り方=日々の生 き方について指導されました。お話されたポイントは次の様でした。
①悔い 過ちを悔いる事の大切さについて話された。過去は終わったものである、“人生は波”良い時もあり、悪い 時もある。100点満点の人はいない。人間は神に作られた掛け替えのないもの、母と同じ優しさを持つお方、即ち神は 何回もチャンスを下さる、だから大切なことは、良心の究明である。「参照…ルカ13章6節いちじくの木のたとえから」
②究明とは祈り ただ祈る事ではない、神と共に祈ることが大切、神と共に祈るとは、大恩人(神)の為に時間を作る 事、しかし現実はどうか日本人は世界一忙しい、ごめんなさいの国だ、“忙しいとは心が亡くなると書く”、心が亡く なる事は、神に向かう心が亡くなってしまう。
ではどうしたらよいか? 神の為に時間を作ることだ。
③その為に、ミサに与かる3つの心得
1.何のために何を捧げるのか
2.何のために神に感謝するのか
3.何を神に願うのか
またミサの中で3つの朗読がある、目で書を追うのではなく、耳で聴くことが大事だ、なぜなら神が語っているの だから。その中から一つで良い”持ち帰り“生活に生かすことだ。説教からも同じ事が言える。
共同祈願も自分の言葉で身近なこと(家族、亡くなった人、許せない人のことなど)を心の中で祈る事がとても大事だ。
④“霊的な貯金(天の国に宝))”を積むことの大切さ
人は最後の審判で自分で行く先を決めることになる、完全に清い人でない限り煉獄行だ。煉獄からは自分では出られな い、神にゆだねるしかない。でも今の私達は“煉獄”の人の為に祈ることができる、祈りの貯金が煉獄の人を救う事が出来る。
⑤心の癌にならぬために…「主の祈り」から
“わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします”
人間関係で衝突する、赦せない。しかし人は皆同じ神の子、だから「主の祈り」を深く考えて祈ることが大切。
最後に、アイルランド人のコールマン神父様ご自身の家族の事を話された。
アイルランドはカトリック100%の国であったが、1169年英国のヘンリー8世(自分の離婚・再婚からカトリックから分 裂し英国国教創設)の時、アイルランドもカトリックが禁止され、教会は破壊され迫害もあってカトリックが根絶えたよう に思われていたが、1916年英国との戦いに勝ち、カトリックの禁止が解かれた。しかし実際はこの800年の間信仰は受け継 がれていたのだ、それは父が子に、子が孫に「ロザリオの祈り」によって絶えることがなかった、マリア様の力だった。 私の父もその一人だった。
川越の信者に“毎日いつでもどこでも良いからロザリオの一連+自分の言葉の祈り”を薦めます。四旬節は自分を見つめ 直すための良い機会ですから。
以上が主な内容でした、82才とはとても思えない情熱とユーモアを持ってお話をされました。最後に感謝のお礼が牧野委員長から渡されました。(土井)
草加教会川越教会巡礼
とても穏やかな春の日の3月14日10時に、草加教会の方々40名が川越教会へ巡礼に訪れました。皆さんのにこやかな笑顔の中で一際背の高い神父様がお一人、 そう3年程前に川越教会に半年程おられたジャンルーカ・ベロッティ神父様です。とてもお元気そうで今回の巡礼もルーカ神父様のご計画によるものだとか。 暖かな日差しの中で歓談しているご様子は、川越教会が懐かしそう。皆さん良くいらっしゃいました。
ちょっと草加教会についてご紹介します。守護聖人は聖マルコ、埼玉南ブロックに属し信徒数約600名、実際に教会に見える方は200名位、奉仕委員会には 30名参加しており、典礼チームが一番多い、宣教司牧チームは教会にこられない方への訪問を行い御聖体をお配りしています。又、マリア会がありパーティ ーなどはマリア会が中心となり、四旬節の巡礼のお手伝いや遠足も企画します。毎週火曜日に「ぶどうの会」があり、女性が集まっておしゃべりをしながら 「ふきん」を作り、その数は年間300枚位、年1回のバザーがあり収益金は「一粒の麦」等へ送金しているそうです。
巡礼は祈りの旅、午前中はルーカ神父様による講和、続いて峰教会の浜田神父様、ルーカ神父様、加藤神父様による個別のゆるしの秘蹟、昼食を挟み14時 より共同司式による御ミサがあげられました。
充実した一日を過された皆さん、お互いを思いやり優しく満足されたお顔が印象的でした。又、南ブロックと西ブロック、お会いする機会が少ない人達と 共同体として分かち合えた事の喜びは、私の心の中にも温かいものが有りました。15時30分草加へと戻って行かれました。
教会の梅の花が満開の日でした。(金子節子)
斉藤紳二助祭帰天
さいたま教区の終身助祭斉藤紳二さんが3月13日帰天されました。ご病気(肺がん)によるもので、お歳は75歳でした。
3月17日(火)、出身教会の北浦和教会で教区主催の葬儀ミサと告別式が行われました。おそらく北浦和教会の方々が多かったのでしょうが、 聖堂いっぱいの参列者、そして、祭壇には多くの司祭、助祭の方々、教区終身助祭を主の御許にお届けする立派なミサ・告別式でした。
聖堂のレンガの壁を見ていて、12年前の斉藤助祭の叙階式を思い出していました。その日は葬儀の日にきわめて近い3月21日、リポートしたいづみ431号の 「トピックス」には、「日差しは暖かだが、風が冷たい」、と記されています(葬儀ミサ当日は大変暖かな日でした)。叙階式の後の祝賀式で、子ども達か ら花束を贈られた斉藤助祭はその花束を一番前に座っておられた奥さんに手渡していました。終身助祭という仕事を夫婦で引き受けた、そんな印象を参列者 に与えた、終身助祭叙階式らしいシーンでした。葬儀の日、その奥さんは斉藤助祭の写真を手にして、斎場への車に乗り込んでいました。奥さんが故人を亡 くされた悲しみのほかにどのような感慨をもたれたかは分かりませんが、12年間全うした助祭のお働きと、戦い抜いた5ケ月の闘病生活を念じ、斉藤助祭を いたわっておられたことでしょう。
助祭のお仕事は、一般信徒にはなかなか見えないところがあります。斉藤助祭も牛久収容所訪問司牧への取り組み、みことば委員会による信仰養成など初 代センター長の任にあった、司牧センターとしての取り組みのほか、教区を超えて、日本カトリック司教協議会の典礼委員会などでも働いておられたようです。
12年間のお働きありがとうございました。主の御許でゆっくりお休みください。(高平)
春の墓前野外ミサ
3月21日(土・祝)午前11時より恒例の墓前ミサが行われました。今年は加藤 智神父様が司式され、メキシコ出身の神学生ホルヘさんが侍者として参 加されました。今にも雨が降ってきそうな曇り空で、冷たい風も吹く中でのミサとなりましたが、後半には温かい日差しも出て、優しい雰囲気で進行しました。
神父様は、「墓地に入ってきたとき、準備されている皆さんが「お萩」を並べているのを見て、今日は阿弥陀経の日だと思いだしました」と述べ、神父様が洗 礼を授け4年前に亡くなったお母様の思い出とともに、「亡くなった大切な方々と再び会う日の為に、私達のくびきを担ってくださるキリストとともに歩んでいき ましょう」と静かに話されました。
ミサの最後に、中村正巳さんの先導により、香をたきながら歩く神学生の後を、神父様は聖水を振りかけながら墓地の中を廻られ死者の霊を弔われました。
ミサ後には、いつものように御婦人方の用意して下さったお茶菓子をつまみながら懇談の時間がもたれました。
今回も高橋勉社長のご厚意により、墓地前の川越精密工業内の駐車場をお借りすることができましたことを感謝いたします。(得丸)
第9次もみの木ボランティア
3月24日(火)から26日(木)飯能・上福岡教会が担当となる第9次のもみの木ボランティアがスタートしました。メンバーは飯能教会から重盛宏仁さん、 吉田文子さん、泉睦洋さん、上福岡教会から梶加寿子さん。今回はもみの木施設長の朝尾さんが出張で不在のため、人数不足をカバーするために高平も 参加させてもらいました。集まった仮設住宅のご婦人たちにボランティアも加わってビーズ細工に夢中になった一日目のボランティアが終了し、明日は 絵手紙体験もやろう、と盛り上がっています。
集まった住民の皆さんの心の内を推しはかることはできません。たった2時間でしたが、現実をすこしでも忘れることができたのならよいのですが。(高平)
(教会報「いづみ」2015年4月 575号より)