2017年洗礼志願式
2017年3月5日、第二ミサ中に洗礼志願式が行われました。
今年も復活徹夜祭の洗礼式に向けて準備している方々がミサ中に紹介されました。
今年は6名の方が受洗され私たちの共同体の一員になる予定です。6名のうち2名の方は第一ミサに出席されたとの事で、第二ミサでは4名の方が代父母と共に祭壇の前に出て紹介されました。
今回ここで紹介されたのは大人2人とお子さん2人。2組の親子さんと言った方が早いでしょうか。洗礼志願書にサインをし、会衆と使徒信条を唱えました。ここでは先に洗礼の恵 みに与った私たちも初心を思い起こします。使徒信条の告白の後に洗礼志願者は特別に祝別された油の塗油を受けました。この油は洗礼志願用に司教様に祝別された油との事です。
説教の中で語られたのはイエス様が霊に導かれ40日間、荒れ野で過ごされた話です。イエス様は荒れ野でサタンから誘惑を受けられます。サタンとは本来は「引き離すもの」と言 う意味なのだそうです。私たちをどうしたら神から引き離せるかサタンはその方法を熟知しているのでしょう。
いろいろなずるがしこい手を使ってサタンは誘惑してくるのでしょう。しかし、そんな誘惑に負けない様に洗礼志願者とともに祈ってご復活を迎えたいと気持ちを新たにさせられました。(佐藤)
教区東日本大震災追悼ミサ
3月11日(土)。毎年この時期に教区サポートセンターの主催で捧げられている東日本大震災追悼・復興祈念ミサが今年は高崎教会で行われました。 参加された方々は高崎教会所属信徒を中心とする群馬県の方々が多かったようですが、サポートステーションもみの木を足場にするボランティアチームからも 参加者があり、聖堂は8分ほどの入りでした。ミサ主司式は教区総代理の鈴木神父様、共同司式にはトアン(國本)神父様、ホアン神父様が立たれていました。 兄弟そろって祭壇に立っているお姿を拝見したのは大宮教会での2012年叙階式の時以来です。
震災から6年を経過し、被災地の状況も変わってきました。しかし、さいたま教区がサポートしている福島県は原発事故という足かせがある関係で、先が見 えにくい状況がいまだ続いています。県外避難している方々も多数おられ、子どもたちが避難先学校でいじめに合うなど、新たな禍も生まれてきています。 共同祈願では直接的な被害に加え、そうした苦しみまで背負わされた人々に主のご加護と慰めを、という祈りがたくさん捧げられました。
とにかく、被災地のために、できることを、できるだけ長くやり続けたい、と改めて感じた今年の追悼・復興祈念ミサでした。(高平)
春の防災訓練
3月12日(日)第二ミサ後、青空の下、春の防災訓練が行われました。広報のため各国語のポスターが掲示されました。
消防署に「自衛消防訓練のシナリオ」を提出し、あらかじめ消火班、通報班、誘導班の担当者が決められ、当日を迎えました。今回は起震車が入るた め駐車場は制限され、訓練に集中するためにティールームは休止となりました。
事前にお願いしていましたので、加藤神父様の説教は短めに終了し、シナリオ通り午前10時半に火災発生のアナウンスがあり訓練は始まりました。
通報、誘導作業を行い、消防隊に確認・報告を行い、その後、消防士から火事を発見した際の、消防署への通報の仕方、避難・消火の方法について説 明を受けました。加藤神父様をはじめ、誘導に従って避難した皆さんは熱心にお話を聞いていました。
その後、いつも通り消化器を使った消火方法を体験した後に、今回のメインイベントである「起震車による地震体験」が始まりました。起震車の周り に集まった人たちが、4人1組になって椅子とテーブルのある起震車に乗り込みました。最初は関東大震災クラスの震度から始まり、徐々に大きな地震と なり東日本大震災並みの震度7まで体験しました。よく地震が来たら、机の下にもぐったり、トイレとか風呂場とか造りの丈夫な場所に隠れるように思 っていましたが、消防士の話では、必ずしも安全とは言えないそうです。阪神淡路地震では、テーブルの下にもぐって亡くなった方も多く、また、最近 の浴室はユニットバスが多く丈夫ではないそうです。
また、実際体験すると、そうそう機敏な行動はできませんでした。ユーモアを交えた消防士のお話は説得力があり、良い訓練だったと思います。このよ うな訓練を積み重ねることによって、実際に火事に遭遇した際にも慌てることなく対処できるようにしたいものです。(得丸)
尾方神父様帰天
さいたま教区司祭尾方昭二神父様が3月10日、入所されていた介護療養型老人保健施設「みさと」にて帰天されました。89歳でした。尾方神父様は1996年から 2003年まで飯能教会の担当司祭としてお導きいただきましたので、埼玉西ブロックの信徒はよく存じ上げていた神父様でした。
2000年に「新・司祭館の窓」というシリーズ記事のために飯能教会を取材したときのことを思い出します。本紙第396号を調べますと、サレジオ会員だった 神父様が1985年春に当時の島本司教様に請われて教区司祭となったこととか、週日のミサをないがしろにせず、長年欠かしたことがなった、などのエピソー ドをいただいていました。
3月16日(木)午後浦和教会で鈴木神父様の司式で通夜がいとなまれ、翌17日(金)には岡田大司教様の司式で葬儀ミサがささげられました。以下は通夜の ときの鈴木神父様説教から。
「…尾方神父は古河教会で1人の青年を司祭に育てあげられました、またこの春には、もう1人の司祭が誕生するということは大きな喜びでしょう。司祭は、 神と人々の間にあってとり次ぐ役目を持っています。今は、神の傍で私たちのためにとりついでくださると思います。私たちは、死は『喜びの門出』と言いま す。別れは寂しいですが、先に行っている同僚と共に、私たちのためにとりついてくれると信じています…」
この説教中、1人の青年と呼ばれているのは古河教会出身の高橋神父様、もう1人の司祭というのは高瀬助祭を指します。尾方神父様は立派な仕事をされていました。
教区のアルスの家(教区引退司祭の家)で元気に過ごしておられるとばかり思っていましたが、介護施設に移られていたようでした。(高平…通夜写真と説教は教区ホームページより転載)
四旬節黙想会
3月19日(日)第二ミサ後に四旬節黙想会が開催されました。イエスのカリタス修道女会前田智晶シスターに今年の指導をお願いしましたが、「光を求め て」と題された集いとなり、今回もたくさんの方々が聖堂に残られてシスターのお話に耳を傾けました。前田シスターはこのところの高山右近列福ムーブメント の中で、列聖推進委員会委員長からの委嘱を受けて作曲された、高山右近のテーマ曲「主こそ わが光―祈る右近」で話題になりましたが、他にもたくさんの曲 を手がけておられるご様子で、今回の黙想会でその列福テーマ曲を含めた4曲を準備くださり、それぞれの歌詞とメロディが祈りの中で生み出される過程をご紹 介下さいました。
ご自分の終生誓願の前に行った、神様にとって自分自身がどのような存在であるかの掘り下げを通じて生み出された神の愛への讃歌「隔された宝」、右近の生 き方を学び通して完成した「主こそわが光」、津和野の殉教者の歴史的事実が私たちに語りかけてくるものに思いをはせて祈り、作り上げた「光の道へ」など…。 驚くほど美しい歌声で紹介くださるメロディは、私達の耳に祈りと黙想へのいざないを伴って届きました。(高平)
春の墓前野外ミサ
3月20日(月・祝)午前11時より恒例の墓前ミサが行われました。加藤智神父様が司式され、多くの方々が参加されました。風が少しありましたが日差しは暖かく、 穏やかな雰囲気で進行しました。
神父様は、「今日は聖ヨゼフ様の祝日です。以前、関根豊明さんが『男の中の男』と表現されたヨゼフ様は、天の教会も地の教会も守ってくださっています。通 常、神の母であるマリア様はイエズス様の大切な右手に置かれますが、ヨゼフ様と一緒の時に限ってはヨゼフ様が右手に置かれるのです。それはヨゼフ様がマリア様 にとっても大切な方だからです。今日はヨゼフ様におすがりして祈りましょう」と説かれました。
今年もミサの初めに「復活の続唱」が歌われ、香がたかれました。ミサの最後に、神父様は聖水を振りかけながら墓地の中を丹念に廻られ、死者の霊を弔われました。
ミサ後、いつものように墓地管理委員会の方々の用意して下さったお茶菓子をつまみながら、神父様を囲んで懇談の時間がもたれました。今年も墓地前の川越精密 工業内の駐車場をお借りすることができました。感謝いたします。(得丸)
(教会報「いづみ」2017年4月 599号より)