「11月・聖徒の月」の黙想
「言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父のみ顔を仰いでいるのである。」

ヨハネ6:37-40

川越教会担当司祭 ヨハネ 加藤 智 神父


  先に天に帰られた方々を11月初めのごミサで記念するカトリック教会の伝統は、英国とアイルランドが起源ではな いかと言われます。私の第二の祖国英国では現在でも11月を「聖徒の月」と呼び、ちょうど日本のお盆のように、英国の 人々にとっては教会でのごミサの後、教会墓地を訪う時で、どの墓地もきれいに清められ、まるで花壇のように花で埋め尽 くされます。亡き方々を偲ぶ人々の思いは洋の東西を問わず変わりません。

  11月1日の「諸聖人の祭日」に続いて、「死者の日」と呼ばれる11月2日は、英国では「諸聖徒の日」(Holy Souls) と呼ばれます。日本では、洗礼を受けずに亡くなった方々に配慮して「死者の日」とされたのだと思いますが、この日は 「諸聖徒の日」と呼ばれる方が、教会の暦には相応しいと思います。   

  ところで、「諸聖人」、あるいは「諸聖徒」の「聖」とは、いかなることなのでしょうか。聖書においては、「聖」であ る方は神お一人です。主キリストお一人です。このことははっきりしています。そうであれば、教会で列聖された「聖人」を ふくめて、広く「聖徒」とは、聖なる特別な人と言うよりも、神によって「聖(きよ)くされた人」、つまり「キリストのも のとされた人」のことであるに違いありません。

  「父がわたしにお与えになる人は皆わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わ たしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることであ る。」(ヨハネ6:37-39)

  ここで、主キリストが「ご自分のものとされた人」、つまり、主によって「聖とされた人」について、主キリストご 自身は、それは「父がわたしにお与えになった人」と仰っておられるだけです。

  主キリストは、私たちの中で、とくに聖い人たち、正しい人たちを、主が選ばれたとは言われていません。「天の父なる 神が、子なる神キリストに託された人たち」を、主キリストは、ご自分のものとする、「聖」とする、と言われるだけです。

  すなわち、「諸聖徒」とは、天の父なる神から主キリストに託され、主によって「聖」とされた人たちのことです。そう であれば、感謝すべきことに、これは私たちすべてに、信仰によって開かれている恵みではないでしょうか。

  「諸聖徒」方は、主キリストによって「聖とされた人々」です。彼らについて、主は先のおことばに続いて、さらに、次 のように仰せになっておられます。

  「(わたしの父の)御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠のいのちを得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させること だからである。」(ヨハネ6:39-40)

  主キリストのみことばは、単なる慰めや約束の言葉では決してありません。神が聖霊によって成就される恵みの事実です。 神のみことばは、聞く私たちに、今、ここで、聖霊によって働く力であり、事実です。神のみことばは、聞く私たちをして 聖霊によって「聖とする力」、すなわち「主キリストのものとして下さる力」です。主は、私たちにみことばをくださる時、 みことばとともに、そのみことばを私たちの内に成就してくださる聖霊をくださいます。これがカトリックの信仰です。こ こに私たちの希望があります。

  そして、この聖霊なる神こそ、元来私たちに、「イエスは主である」と信じ、告白させてくださった方です。しかも この聖霊こそ、みことばとともに働いて、洗礼において私たちを新たに生まれさせ、さらに、ごミサにおいて私たちの捧げる パンとブドウ酒を主キリストご自身の御からだと御血、つまり主キリストご自身のいのちとして私たちにお与えくださる方、 に他なりません。

  くり返しますが、主キリストは、私たちにみことばを与えてくださるだけではありません。みことばとともに、主は私 たちに聖霊をお与えくださり、その聖霊によって私たちの内に働き、主のみことばを私たちの内に結ばせてくださいます。 これが、主キリストのみことばと聖霊の力、すなわち、福音の力です。

  11月の始めのごミサで、私たちが記念した「諸聖人」方、さらには天に帰られた私たちの信仰の先達である「諸聖徒」 方。彼らは、主キリストによって「聖」とされた方々です。主によって、祝福のみことばとともに聖霊を受けた方々です。 聖霊によって、主キリストのみことばが、彼らのいのちそのものとされた方々です。彼らは、聖霊によって、神と人とに対 する祝福とされた方々です。

  諸聖人方とともに諸聖徒方は、天のみ国にあって、愛と感謝をもって、ひたすらに主を褒め、とこしえに主を称え賛美 しておられると、教会は信じて来ました。私たちの主キリストへの愛と賛美は、地上において制約された私たちの主への思い を遥かに超えて、天においてこそ全うされるに違いありません。諸聖人・諸聖徒方は、このことを既によく知っておられる 方々であるはずです。

  父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。



(「主日の福音の黙想」より)



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