「キリストの似姿」
諸聖人の祭日の黙想(11月1日)

(マタイ18:1-5,10(マタイ5・1~12a)

 川越教会担当司祭 ヨハネ 加藤 智 神父


 諸聖人方を11月1日のごミサで記念するカトリック教会の伝統は、英国とアイルランドが起源ではないかと言われます。 英国では現在でも11月を「聖徒の月」と呼び、日本のお盆のように、英国の人々にとって教会でのごミサの後、教会墓地を訪う時とされ、 どの墓地もきれいに清められ、ちょうど花壇のように花で埋め尽くされます。亡き方々を偲ぶ人々の思いは洋の東西を問わず変わりません。

 諸聖人の祭日には、諸聖人の筆頭として、主の12弟子たち、さらに、ご復活の主キリストご自身から「みことば」と「聖霊」を受けた 聖パウロ始めすべての聖人方を記念いたします。彼らの中には私たちと同様に、あるいは私たちに代って地上の生活で多くの苦しみを負い、 あるいは自らの弱さと戦われた方々もおられます。

 聖人の「聖」とは、如何なることなのでしょうか。聖書においては、「聖」である方は、神お一人。主キリストお一人です。このことは はっきりしています。そうであれば、「聖人」とは、生まれながらに聖(きよ)い人と言うよりも、主の「みことば」と「聖霊」を受け、 神によって「聖くされた人」ではないでしょうか。

 「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。・・・
心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。・・・」

 「心の貧しい人々は、幸いである」と、主は仰せです。「貧しい人々」とは、主キリストの他に頼る方がいない者たち、即ち私たちの ことではないでしょうか。「天国・神の国」に関して、私たちは主キリスト以外にいったい誰を頼ることができるでしょうか。私たちに 「天国」を約束して下さるのは、ただ「神の国の主キリスト」おひとりです。

 主の上記のおことばは、昔は「真福八端」と呼ばれていました。私たちに対しての、八つの詩句からなる主キリストの「祝福のみことば」 です。ご自身「聖」にして、私たちを「聖とする」ことがおできになる神ご自身からの祝福です。私たちが「聖とされ、天国を約束される こと」。実は、それこそが主キリストの祝福です。

 私たちが主によって「聖とされ、天国を約束される」。それは、私たちが「神の国の主・キリストのものとされる」ことです。それを使 徒ヨハネは、「御子キリストに似た者とされる」(1ヨハネ3:2)と教えてくれました。私たちが「聖とされ、天国を約束される」、即ち 主から祝福されるとは「御子キリストに似た者とされる」こと。主に祝福された「聖人」方は、私たちに先立って、「主キリストに似た者 とされた方」です。

 その祝福を主は如何にして私たちにお与え下さるのでしょうか。それは、「祝福のみことば」とその祝福を私たちの内に成就させて下さ る「聖霊」によってです。「聖霊」は、主の「みことば」と共に働いて、私たちに「イエスは主である」と告白させて下さいました。 「みことばと共に働かれる聖霊」こそ、洗礼において私たちを新たに生まれさせ、ごミサで、私たちの捧げるパンとブドウ酒をご聖体に、 即ち主キリストご自身の御からだと御血・主ご自身のいのちに変えて下さる方です。

 「みことばと聖霊」において、主キリストが私たちに下さるのは主ご自身です。主はご自身を与えることによって、私たちを「聖」とし、 即ち「主キリストに似た者」として下さいます。それが主の祝福です。主キリストこそ、祝福そのものだからです。主の12使徒を始め、 教会の歴史に輝く諸聖人方は、主キリストご自身を祝福として受け「主キリストの似姿に変えられた」方々です。

 私たちもごミサで、諸聖人方のように、「主よ、私たちにみことばをください」と、主に願います。主キリストは、私たちにも必ず 「みことば」とともに「聖霊」を、即ち主ご自身を下さいます。主は小さな私たちにも、ご聖体において、主キリストご自身を祝福としてお 与え下さいます。「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と、主は仰せです。

 私たちは、諸聖人方とは比べるべくもない者であるかも知れません。しかし、主キリストがご聖体において私たちにもお与え下さる主ご 自身は、主の12使徒始め、全ての諸聖人方にお与えになられた主と全く同じ主キリストご自身であるはずです。主は今も、いつも、代々に、 一人なる同じ主であられるからです。私たちのような小さな者にさえ、ご自身をお与え下さる主キリストを、その恵み故に心から畏れます。

 諸聖人方は、「天の国」で、主キリストのみ前に、み使いと共に主を褒め、主を称えていると信じられています。ご自身を祝福として私 たちにお与え下さった主への愛と感謝は、地上での制約された私たちの思いを遥かに超えさせるからです。諸聖人方は、天に在ってこのこ とを最もよく知っておられる方々であるに違いありません。

 父と子と聖霊のみ名によって。 アーメン。



(「主日の福音の黙想」より)



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