クリスマスの黙想
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」

ルカ2:1-14

川越教会担当司祭 ヨハネ 加藤 智 神父


  ルカによる福音は、主キリストのご降誕を、その日の夜半に最初にお祝いすることを許されたのは、 マリアさまとヨセフさまの他には、貧しい羊飼いたちであったと伝えていました。彼らは、マリアさまた ちが滞在しておられたユダヤのベツレヘムの地方で、その夜、「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番を」していました。

  灼熱の日中とは違って、夜半には気温が零下にも降るベツレヘム郊外の荒野。おそらく小さな焚火だけを暖 を取る手立てとして、野外で肩を寄せ合うようにして夜通し太陽の昇る朝を待ちわびていたに違いない貧しい羊飼いたち。 神は、特にその彼らを、世界で最初のクリスマス夜半の祝いに招かれました。ルカによる福音は、その時の様子を次のよう に伝えていました。「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常におそれた。」

  羊飼いたちはおそれました。何を、でしょうか。彼らは、神を畏れたに違いありません。町の城壁の外で羊の群れ の番をして生活を営む他無い貧しい羊飼いたち。彼らは律法学者たちが求めるユダヤの律法を守ることができる境遇に はありませんでした。律法を守ることも、律法に従って神を礼拝する事もできない羊飼いたちを、町に住む人々は、神の 恵みにふさわしくない者たちとして蔑んでいました。彼ら自身も、神を待ち望む待降節は無縁だと思っていたと思います。降誕日の夜までは。

  しかし、私たちに主を待ち望む待降節へと招き入れて下さるのは、人ではなく神ご自身です。主キリストの使徒ペトロは、 私たちは主キリストが来られるのを、人の期待や計らいによってではなく、「神の約束に従って待ち望んでいる」と、教えています。

  神のみ使いガブリエル(神のみことば)は、マリアさまに遣わされた時、驚き・戸惑うマリアさまに「おめでとう、恵ま れた方。主があなたと共におられる」と、挨拶しました。

  み使いが告げたのは、マリアさまが、ご自身気付かない内に、すでに神の恵みに包まれていたと言う事実です。実は、降誕 日の遥か以前から、主キリストを私たちのためにお遣わしくださるための神ご自身のご準備が、み使いガブリエルに象徴される 旧約の預言者の長い時代を貫いて、既に続けられていたのです。その上で、地上の待降節は、母マリアさまが聖霊によって神の 御子キリストを宿されることによって、歴史の事実、さらに私たちの身の事実となりました。

  真の待降節。真実に神の到来を待望させて頂くことは、神への畏れと感謝の内に、マリアさまと共に、またマリアさまのよ うに私たちも、この身に神の御子を宿させて頂くことではないでしょうか。それは、神の恵みにのみよることです。

  神を待ち望む待降節とは、ユダヤの律法学者たちのように、律法を上手に解釈し神との一定の距離を保ちながら、自分の 心を自分で整えて行くようなことではないと思います。待降節とは、マリアさまのようにこの身をそのまま神に明け渡してしま うことではないでしょうか。神の御子をこの身に宿すとは、そういうことではないでしょうか。律法を読むこともできず、律 法を解釈して神と自分の間に距離を置く術を持たない羊飼いたちは、ただ神の恵みによって真の待降節に招かれました。

  その羊飼いたちは天使のことばを聞いて、神を「非常におそれ」ました。彼らは、主なる神が来られたならば、主のみ前に 自らを弁護する術もなく主に自分たちを明け渡してしまう他ないことを知っていました。同時に彼らは、自分たちが神のもの とされることに堪え得ない罪人であることをも、誰よりも良く知っていました。

  しかし、否、だからこそ、み使いは、羊飼いたちに告げます。「おそれるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜び を告げる。」神が求めておられるのは、マリアさまのように、また貧しい彼ら羊飼いたちのように、真に神を畏れる者たち、 神のみを畏れる者たちだからです。「神を畏れる」者にこそ、神はご自身の御子を宿させてくださるのです。さらに、彼らに 宿された神の御子によって、彼ら自身を福音、すなわち「民全体に与えられる大きな喜び」の使者として下さるのです。

  畢竟、それは神の天使たちに加わって神を賛美することです。羊飼いたちの見上げる天には、既にみ使いたちによる神の 勝利と歓喜の歌声が響いています。

  「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」

  降誕祭のこの夜、マリアさまとヨセフさま、さらに羊飼いのように神を畏れる皆さん一人ひとりに主キリストが来て下 さいます。「おそれるな」とのおことばを携えて。

  クリスマス、おめでとうございます。神の御祝福が皆さんの上にありますように。

  父と子と聖霊のみ名によって。   アーメン。



(「主日の福音の黙想」より)



バックナンバー

2018年11月
2018年10月
2018年 9月
2018年 8月
2018年 7月
2018年 6月
2018年 5月
2018年 4月
2018年 3月
2018年 2月
2018年 1月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年 9月
2017年 8月
教会報「いづみ」602号 巻頭言 2017年 7月
教会報「いづみ」601号 巻頭言 2017年 6月
教会報「いづみ」600号 巻頭言 2017年 5月
教会報「いづみ」599号 巻頭言 2017年 4月
教会報「いづみ」598号 巻頭言 2017年 3月
教会報「いづみ」597号 巻頭言 2017年 2月
教会報「いづみ」596号 巻頭言 2017年 1月
教会報「いづみ」595号 巻頭言 2016年12月
教会報「いづみ」594号 巻頭言 2016年11月
教会報「いづみ」593号 巻頭言 2016年10月
教会報「いづみ」592号 巻頭言 2016年 9月
教会報「いづみ」591号 巻頭言 2016年 8月
教会報「いづみ」590号 巻頭言 2016年 7月
教会報「いづみ」589号 巻頭言 2016年 6月
教会報「いづみ」588号 巻頭言 2016年 5月
教会報「いづみ」587号 巻頭言 2016年 4月
教会報「いづみ」586号 巻頭言 2016年 3月
教会報「いづみ」585号 巻頭言 2016年 2月
教会報「いづみ」584号 巻頭言 2016年 1月
教会報「いづみ」583号 巻頭言 2015年12月
教会報「いづみ」582号 巻頭言 2015年11月
教会報「いづみ」581号 巻頭言 2015年10月
教会報「いづみ」580号 巻頭言 2015年 9月
教会報「いづみ」579号 巻頭言 2015年 8月
教会報「いづみ」578号 巻頭言 2015年 7月
教会報「いづみ」577号 巻頭言 2015年 6月
教会報「いづみ」576号 巻頭言 2015年 5月
教会報「いづみ」575号 巻頭言 2015年 4月
教会報「いづみ」574号 巻頭言 2015年 3月
教会報「いづみ」573号 巻頭言 2015年 2月
教会報「いづみ」572号 巻頭言 2015年 1月
教会報「いづみ」571号 巻頭言 2014年12月
教会報「いづみ」570号 巻頭言 2014年11月
教会報「いづみ」569号 巻頭言 2014年10月
教会報「いづみ」568号 巻頭言 2014年 9月
教会報「いづみ」567号 巻頭言 2014年 8月
教会報「いづみ」566号 巻頭言 2014年 7月
教会報「いづみ」565号 巻頭言 2014年 6月
教会報「いづみ」564号 巻頭言 2014年 5月
教会報「いづみ」563号 巻頭言 2014年 4月
教会報「いづみ」562号 巻頭言 2014年 3月
教会報「いづみ」561号 巻頭言 2014年 2月
教会報「いづみ」560号 巻頭言 2014年 1月
教会報「いづみ」559号 巻頭言 2013年12月
教会報「いづみ」558号 巻頭言 2013年11月
教会報「いづみ」557号 巻頭言 2013年10月
教会報「いづみ」556号 巻頭言 2013年 9月
教会報「いづみ」555号 巻頭言 2013年 8月
教会報「いづみ」554号 巻頭言 2013年 7月
教会報「いづみ」553号 巻頭言 2013年 6月
教会報「いづみ」552号 巻頭言 2013年 5月
教会報「いづみ」551号 巻頭言 2013年 4月
教会報「いづみ」550号 巻頭言 2013年 3月
教会報「いづみ」549号 巻頭言 2013年 2月
教会報「いづみ」548号 巻頭言 2013年 1月
教会報「いづみ」547号 巻頭言 2012年12月
教会報「いづみ」546号 巻頭言 2012年11月
教会報「いづみ」545号 巻頭言 2012年10月
教会報「いづみ」544号 巻頭言 2012年 9月
教会報「いづみ」543号 巻頭言 2012年 8月