■ 教会の歴史 (川越教会ショートヒストリー)
川越にカトリックを紹介したのは、プラシード・メイラン神父でした。
メイラン神父はフランスに生まれ、パリ外国宣教会の宣教師として1890年(明治23年)に来日しています。この教会の洗礼名簿によれば、早くも1892年(明治25年)には最初の信徒が洗礼を受けています。その後、1912年(大正年)にはメイラン神父の手によってこの地に教会が建設されました。その当時は平屋の日本家屋を建て、聖堂として使っていました。
1933年(昭和8年)本格的な聖堂が建設されました。当時はまだこの付近には畑が多く、その中に建つ白い聖堂はたいへん目を引いたといいます。
1936年(昭和11年)北関東地方の司牧・宣教がフランシスコ修道会カナダ管区の担当となり、エミリアン・テトロー神父が主任司祭として着任しました。前述のメイラン神父をはじめ、この教会はその歴史上の長い期間を外国人司祭によって導かれて来ました。太平洋戦争のおりには神父が敵国人として囚われ、収容所に連行されました。多くの神父が母国に強制送還されるという事態も起き、この時代は教会にとっても苦難の時代でした。
聖堂は、増築、改築が重ねられてきましたが、建築後70年を経過するに至り傷みも激しくなり前面改築が計画されました。現在の聖堂は1992年(平成4年)信者一同の長年の願いがかない、新たに建て替えられたものです。屋根には、以前の教会のスタイルをそのまま残す鐘楼が取り付けられ、この教会のシンボルになっています。
他のさいたま教区の教会と同様、この教会も様々な国から日本に渡ってきた多国籍の信徒によって信徒数が増大してきています。日本信徒も多国籍の家族のひとりとして共同体を構成し、共に祈り働く、そのような教会がカトリック川越教会です。
2014年3月1日
カトリック川越教会広報部